大阪の五ツ星お米マイスター『れいこ』のブログ

大阪市都島区のこだわりのお米屋さん&お酒屋さんに嫁いだ子育中のオカン れいこが、お米のあれこれを綴ります

上越 くびき 「蛍の里」さんへ-上杉謙信公と「新潟米」今昔物語

こんばんは。五ツ星お米マイスターのれいこです。

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新潟上越の大冒険のお話も3回目。まだまだ続きますよ〜(*´꒳`*)。さて、こちらの風景。どこからのものだと思います?そう、新潟 上越といえば戦国時代の名将上杉謙信公所縁の地としても有名ですよね。この絶景は、その上杉謙信公の居城として広くしられる春日山城跡からの展望です。眼下に広がるは日本海に頚城平野。そして頚城を取り込む山並み。

www.niigata-kankou.or.jp  画像:にいがた観光ナビより
前回ご紹介した糸魚川の道の駅「マリンドーム能生」でカニを堪能させていただいた後、私たち親子は、こちらの春日山城跡に連れてきていただきました。

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一番驚いたのは、海と山がとても近いこと。車でお連れいただいたということもありますが、それにしても走ること数分で、緑の香りに満ちて涼やかなこの地に来れるとは。蛍の里石田さんによれば、上越に来たなら、ぜひ、見て欲しい風景とのこと。なるほど。眼下に広がるこの風景を見れば、謙信公が居城を構えられた気持ちが分かるような気がします。

せっかくなのでと、上杉謙信高が生きた時代の新潟をネットで色々と検索してみると、当時の
越後平野は「川が運んできた土砂が堆積してで きた沖積平野で、かつては潟や沼の多い低湿 地帯であった。一度洪 水が発生すると水がす ぐに溢れ、濁流が家や 田畑を押し流し、容易 に水が引かない「こもる 水」だったため、洪水の 度に多くの人命や家畜が失われた」との記述。一度洪水となると稲も腐ってしまう。まずくて鳥さえ食べないという意味から、昔の新潟のお米は「鳥またぎ米」 と呼ばれていたのだとか。越後平野が日本有数の穀倉地帯となったのは、実は明治時代以後のこと。大河津分水路が完成してからのことなんですね。謙信公がタイムスリップでもして、今の新潟米に遭遇したら…目を輝かせて釜ごとペロリとたいあげられるかもしれませんね(๑˃̵ᴗ˂̵)

参照:JCCAホームページよりhttps://www.jcca.or.jp/kaishi/238/238_toku7.pdf


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そして、見学の後は…お土産物屋さんでちょっと休憩。旅といえば気になるのがご当地ソフト⁈なんと、こちらには新潟産コシヒカリソフトクリームがありました。どの辺りがコシヒカリかと言うと…米粉使用、米粒入り!

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お味は…王道のバニラでした(^^)。うん。うん。確かに米粒も入ってましたよ。

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そうそう。春日山城跡にはとっても素敵な語りべさんがいらっしゃるのもお話しておかなくちゃ。越後 上越 上杉おもてなし武将隊さん。伺った日は残念ながら謙信公にはお目にかかれませんでしたが、毎日、どなたかが駐在されてるそうです。

http://www.uesugi-busyotai.com/

 

さて、次回のお話は…いよいよ蛍の里さん所縁の地へ。旅も後半戦へと向かいます╰(*´︶`*)╯♡